2013年7月31日水曜日

エフェス遺跡 詳細 

エペソ
紀元前6世紀にはすでに小アジア有数の商業都市。
ローマ帝国小アジア州の首都として栄えていた。

聖母マリア教会

ユスティニアヌス帝により増築。
431年、ローマ皇帝テオドシウス2世の呼びかけにより、ここでエペソ公会議が行われた。
ネストリオス大主教が身の危険を感じて支持者が来るまで会議への参加を拒否。
その隙に、キュリロス総主教らがネストリオス大主教の排斥を決議。
その後ネストリオス大主教を支持するアンティオキア総主教(ヨアンネス)らがキュリロス総主教らを弾劾。
さらに、ローマ教皇ケレスティヌス1世の使節がヨアンネス総主教らを破門。
会議は政治的理由で終始混乱した。

論争点
■アレクサンドリア総主教キュリロス(アレクサンドリア学派)
キリストは唯一の存在。

■コンスタンティノポリス大主教ネストリオス(アンティオキア学派)の論争が中心。
人間性と神性が独立した二つが存在。
マリアは「神の母」(テオトコス)ではなく「キリストの母」(クリストトコス)。

決議
・ニケア信教を再確認する。
・マリアの呼び名はテオトコスがふさわしい(ネストリオス派を異端)
  →ネストリオス派はイラクのアッシリア東方教会など、現在も存在する。

449年 第二エフェソ公会議(強盗会議)
キリスト単性論により異端とされたエウティケスが、アレクサンドリア総主教ディオスコロスに頼み込み、東ローマ皇帝テオドシウス2世の側近を動かし、エフェソスでの公会議を開く許可を得て巻き返しを図る。これに反対したローマ教皇 レオ1世は、「強盗公会議」を呼んだ。

体育場

皇帝アントニウスと女神アルテミスに捧げられた。

競技場


アルカディアン通り

大劇場と港を結ぶ商店街で、街灯もあった。まっすぐ進むと昔の港の跡がある。

大劇場

演劇や全市民参加の民会の会場。
2万4千人収容。
大劇場の騒動の前後にパウロは投獄されている。
使徒言行録19章
そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。
そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちやおなじようなことをしている者たいを集めて言った、「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなく、アジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中に入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。
さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったさえ分からなかった。そのとき、ユダヤ人が前に押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。
そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った、「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降ってきた御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。 諸君がここに連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。

マーブル通り

大劇場から図書館まで続く大理石の道。(当時はアルテミス神殿まで続いていた。)
通りの下は水路。
売春宿の広告(足型)が路面に掘られている。

ケルスス図書館

古代三大図書館。1970年代に修復
正面に知恵・運命・学問・美徳を意味する女性像。
内部は平屋。1万2000冊の書物が所蔵されていた。
パウロが2年間毎日のように教えていたツラノの講堂は、この図書館の近くという説が有力。

マゼウスとミトリダテスの門

図書館に向かって右側。
皇帝アウグストゥスの奴隷だった二人が、解放されたことを皇帝に感謝するために建立。

クレテス通り

エフェスの聖火を守る神官による行列が行われていた。側道に今も綺麗に残っているモザイク!現存するのは2世紀に修復されたものだそうだ。

丘の上の住宅(別料金)


娼館

2階建ての中庭式建物

公衆トイレ

娼館の先の建物の奥。

ハドリアヌス神殿

2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた建物。
内側は質素。正面玄関の装飾は美しい。
手前のアーチの中央には女神ティケ、奥の門には両手を広げたメデューサ。
その左右の小壁にはエフェソの起源が描かれ、神々、動物、皇帝テオドシウスなどがあるが、これはレプリカ。(本物はセルチュクの博物館。)

スコラスティカの浴場

1世紀の建設された公衆浴場。4世紀の地震で壊滅後、スコラスティカが再建に尽力し、三階建てのビザンツ浴場になった。
手前の脱衣場になっているホールに、頭部を失ったスコラスティカの座像がある。

トラヤヌスの泉

三角のファザードが目印。102-104年に建立。
皇帝トラヤヌスに捧げられた。トラヤヌス皇帝は五賢帝の二人目で、ルーマニアを征服し、治世中にローマ帝国の領土は最大に達した。
台座にはオリジナル部分が残るが、ほとんど原型を留めておらず、修復された正面部分から当時の姿想像される。
当時、正面にため池があり、トラヤヌス皇帝像の足元にから水が流れていた。

ヘラクレスの門

左右対の門。メミウスの碑の先に置かれた勝利の女神ニケのレリーフは、本来のこの門のアーチとして飾られていた。

メミウスの碑

メミウスはポントゥスからエフェソスを奪還したローマの独裁官スッラの孫。スッラを称賛する言葉が
書かれている。

ドミティアヌス神殿

2階建ての石柱。皇帝ドミティアヌスを祀る50Mx100Mの巨大な神殿が建てられていた。ドミティアヌス帝は有能だったが、独裁傾向が強く、末期は猜疑心が強くなって有力者を処刑し、キリスト教徒を迫害した。
皇帝が殺害された後に神殿は取り壊され、現在は土台部分のみ。内部には7メートルのドミティアヌスの像があったが、一部は考古学博物館にある。

ポリオの泉

97年にセクティリウス・ポリオという人物によって建立。

市公会堂

現在は数本の列柱が残るのみだが、かつてここに聖火が灯されていた。

オデオン

1400人収容の音楽堂。屋根も取り付けられていた。代表者会議などにも利用されていた。

上のアゴラ

広場。集会や宗教行事、商取引などに利用されていた。こちら側は未発掘の アゴラ (広場)そしてたくさんの土管が積み上げれれていた。 これは当時の水道管。

ヴァリスの浴場

アーチのある建物。2世紀に造られたもの。
床下暖房という典型的なローマ風呂の形が残っている。規模が大きく まだ発掘途中 当時、この浴場はローマ様式の浴場に倣いオンドル式の床下暖房の設備が有り、脱衣場、冷浴室、微温浴室、高温浴室の設備が有ったそうである。

ルカの墓

東の門を出たところにある。
ルカによる福音書の著者ルカの墓。19世紀に発見されたものだが、ルカがいつどこで死んだのかについての確実な資料は今のところ存在していない。